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生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)
(2007/05/18)
福岡 伸一

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「生命とは動的平衡にある流れである」

ぞくぞくしました。

「お変わりありませんね」などと挨拶を交わすが、半年、あるいは一年ほど会わずにいれば、分子レベルでは我々はすっかり入れ替わっていて、お変わりありまくりなのである。(p162-163)


「体内の水分は一か月ですべて入れ替わる」
などとはよく聞きますが、
こういった体内の構成要素の入れ替わりに対するイメージは
「個人」という普遍的な器があって、
その中身が入れ替わる、というのが一般的でしょう。

しかし実際のところは器ごとごっそり、
というか器という概念もなく、
体のすべてが分子レベルで入れ替わっているらしい。

構成要素となる分子は絶えず流れていて、
ある瞬間のある分子たちが平衡している状態が生命で、
僕ら、ということ。

砂嵐のようにザーッと流れる膨大な粒子の中で
おびただしい量の粒子が
自分の中に入って出ていく様子を想像して、
ぞくっとしました。

高校生の時に小林泰三「人獣細工」を読んだときに、
個人って何なんだろうとか?と
不安になったことを思い出します。

人間の心臓を持つ豚の心臓と、人間の肝臓を持つ豚の肝臓と、人間の腎臓を持つ豚の腎臓と、(中略)、人間の甲状腺を持つ豚の甲状腺と、人間の卵巣を持つ豚の卵巣を組み合わせて作り上げた人間は人間なのかしら?(p54)


AとBという二人の人物がいて
AとBの体の1%だけ交換したら
初めと変わらずAはAでBはBの気がする。
けれども、もし、99%を交換したら、
それはもはやAはAでないしBもBではないと感じる。

独立した個人の境・条件はどこにあるのだろうかと考えていくと、
答えが出ず、いつも自分が確固として感じていた一人の自分が
ひどくあやふやな物のように感じて不安になったりしましたが、

そんな体の部分というレベルではなく
日々、分子のレベルで総とっかえが行われていたとは驚きです。
それも脳を含めて。

自分は何者なんでしょうかね。
分子の流れにいる僕と他人を分けるポイントは
どこにあるんでしょうかね。

平衡点の違い、というのはどこか気持ちが悪い。

「脳の中の幽霊」を読んで、
自分自身の中心にいたと思った意識が、
幽霊のような無意識に大きく影響されていると知った時にも感じましたが、

面白いなと思う一方で、
科学が進めば進むほど、
人は自分の存在のあやふやさに悩むようになるんじゃないかと
ちょっと心配になりました。

2010年03月09日 | Comment:1 | TrackBack:0 | | | Top↑ |
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